厚生労働省の調査では、日本の認知症患者は2012年に462万人を数え、高齢者の4人に1人は認知症または予備軍といわれています。2025年には700万人を超えるという予測もでており、認知症は私たちの身近にある問題となってきています。
そんな中、厚生労働省は、2015年年1月に認知症対策を強化する計画『認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)』を発表しました。その中で認知症の発症要因は「加齢、遺伝子のもの、高血圧、糖尿病、喫煙、難聴」としており、難聴も認知症の発症要因の一つだとしています。今回は、認知症と難聴の関係について考察してみました。
加齢による難聴
そもそも人間の聴力は30歳あたりから徐々に低下し始め、65歳以上で難聴のある方は25~40%、75歳以上では40~66%、そして85歳以上では80%に達するとされており、65歳以上で難聴のある方は1,655万人にのぼると推測されています。しかし、加齢による難聴はゆっくりと徐々に低下していくため、本人の自覚もないまま難聴になるケースが大半です。
出典:愛知県・岐阜県補聴器センター
加齢による難聴の特徴
加齢による難聴は、単に音の聞こえが悪くなっているだけではなく、音がどの方向から聞こえているのか(音源定位)がわかりにくく、大勢で同時に話しているときに会話を聞き逃してしまうということがあります。また、ゆっくりと話してもらわないと理解しづらい(時間分解能の低下)という特徴があります。
年齢を重ねるにつれ、身体の機能が衰えることは誰しも経験することですが、加齢による難聴は複合的な要因で起こるとされています。内耳にある有毛細胞の減少、脳の中枢機能の低下、ことばを認識する認知機能の低下などが合わせり、次第に音を聞き取りにくくなっていきます。
加齢による難聴は、身体機能の衰えなので、両耳が同じように聞こえにくくなる例がほとんどです。また、一般的には蝸牛内にある周波数が高い音を聞き取る細胞から壊れてくるので、電子レンジの「チン」という音、インターフォン、電話のベルなどの高い音から聞こえにくくなってきます。話し言葉では、「さ行」「か行」「は行」などの子音は高周波数帯にあるため、「7時(しちじ)」と「1時(いちじ)」、「佐藤さん」と「加藤さん」を間違えやすくなったりします。
加齢による難聴の進行を遅らせるには
加齢によって起こる難聴は完全に予防することは困難です。ただし、進行を遅らせることは可能と言われています。
生活習慣病を防ぐ
耳の中の血管はごく細く、生活習慣病などにより血流障害が起こると、細胞に酸素や栄養が行き渡らず、壊れやすくなります。血流障害を起こす原因となる高血圧や高血糖、高コレステロールなどがあれば、コントロールします。
大音量や騒音を避ける
大きな音は、有毛細胞を大きく揺らすため、早く傷む原因になります。大音量や騒音に耳がさらされる環境はできるだけ避け、耳を酷使しないことが大切です。音楽を楽しむ場合でも、音の大きさに注意し、一定時間ごとに休憩をとるとよいでしょう。
認知症と難聴についての研究
認知症と難聴の関係については、厚生労働省の認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)で報告された他、日本補聴器工業会によるJapanTrak2015 でも難聴者に直近の1年間でのもの忘れついて訊ねたところ、「難聴をそのまま放置していた人のうち76%の人がもの忘れの程度がひどくなったと自覚していた」と報告されています。
また、2017年1月15日には一般社団法人日本耳鼻咽喉科学会主催の“難聴と認知症・うつ病”に関する国際シンポジウムが開催されており、日本国内で注目されていることがうかがえます。
米国では10年以上前から認知症と難聴の研究が進められており、ジョン・ホプキンズ大学と国立老化研究所との合同研究では、加齢と共に委縮する脳において、難聴の高齢者は特にこの変化が著しいことがわかりました。この研究で、フランク・リン博士の研究チームは、米国バルティモア州に住む126人の高齢者を10年間に渡り長期的に調査しました。被験者は定期的に脳のスキャンと聴覚テストを受け、研究チームは各被験者の脳組織の幅を測り、その結果、難聴が見られる被験者は難聴のない被験者と比べて、脳の委縮速度が早いことが報告されました。
リン博士の研究結果
- 難聴者は健聴者よりも脳萎縮の速度が加速する
- 毎年、脳組織の委縮する体積が健聴者よりも難聴者の方が1立法センチメートル以上も大きい
- 難聴者は、脳の構造で音声言語を処理している上側、中側、下側頭回の委縮が著しい
リン博士によると、難聴者において音声言語を処理する脳分野に委縮が見られることは不思議ではなく、この“聴覚も含む複合分野の悪化”は「聞こえないこと」が原因で起こる可能性が高いと言っています。また、これらの部位は単独では機能せず、他の部位と連携して一つのことを行っています。その結果、一つの部位の体積が減少すると、脳全体の悪化に繋がる危険性があります。例えば、音声の処理以外に、中側頭回と下側頭回は記憶と感覚を統合させる役割もあり、どちらかの部位が委縮することが、アルツハイマー型認知症の初期症状と見られています。
この研究の結果から、難聴と認知症には相関性があることが示されましたが、それと同時に、難聴の早期治療の緊急性も報告されています。リン博士は、「難聴がMRI検査で分かるような脳の変化の一因である場合、早期発見・早期治療が鍵になるでしょう」とも言っています。
早めに聞こえのチェックをして治療を受けることで、アルツハイマーなどの認知症を発症する可能性は低くなります。しかも、長期的に良好な脳の働きが維持できるということは、長期に渡り、心身ともに健康であり続けることができるということです。最新の研究でも、早期に聞こえをチェックすることが認知機能低下の予防となることが報告されています。
SIEMENSのホームページにリン博士の研究がとてもわかりやすく記載されていましたので、そのまま引用を掲載します。
難聴と認知症
難聴と認知症との関係が注目されています。
「難聴を抱える高齢者は、聴力を維持している者よりも、徐々に認知症を発症する確率が大幅に高くなっています。私たちの所見は、医師が聞こえについて患者と話し合い、徐々に低下する聴力に積極的に対処することがいかに重要であるかを強調しています。」(※1)
※1 Johns Hopkins Medicine. Hearing Loss Accelerates Brain Function Decline in Older Adults.2013
(http://www.hopkinsmedicine.org/news/media/releases/hearing_loss_accelerates_brain_function_decline_in_older_adults)
放置されている難聴と認知症およびアルツハイマー病との関係。
難聴が認知症やアルツハイマーの発症と関係があることを示唆する複数の研究があります。難聴をそのまま放置しておくと、深刻なリスクとなる恐れがありますが、このことは、聴覚が低下している人たちに十分周知されているわけではありません。
この情報を提供することで、患者やその大切な人の聞こえのケアについて意識を変えさせるきっかけとなることでしょう。
フランク・R・リン医学博士は、医学の専門家が難聴と認知力の低下という話題について、よく引き合いに出す研究を実施しました。この研究では、平均年齢77.4歳の成人1,984人を6年間観察し、認知機能と関連して難聴の進行を追跡しました。
リン博士は、難聴と認知力の低下の関係や理由を特定するにはさらなる研究が必要であるとしつつも、難聴が高齢者の精神的鋭敏さを妨害する一つの要因であると結論付けています。また、この研究では、難聴の程度が重くなればなるほど、認知障害の発症率も高くなり、精神機能の低下もより急激となると示唆されています。ただし、軽度の難聴であっても、認知障害を発症する確率は高くなっています。
「聴力の低下により、灰白質の萎縮が進み、会話を理解するために聞き取りにかなり集中をしなければならないという事実があり、脳に余分な負担をかけることになります。補聴器は聞こえを改善するだけでなく、脳を守ってくれる可能性があります。」(※2)
※2 University of Pennsylvania ? Perelman School of Medicine, Jonathan Peele, PhD. 2011 (www.sciencedaily.com/releases/2011/08/110831115946.htm)
2014 年1月、リン博士と彼のチームは、聴力が正常な成人の脳と難聴の成人の脳における変化について新たな結果を公表しました。
10年間にわたり、毎年、MRI(核磁気共鳴画像診断)検査を実施したところ、正常聴力の被験者75人と比較した場合、少なくとも25dBの軽度の難聴を抱える被験者126 人のうち51 人に当初から灰白質の萎縮が進んでいることが認められました。聴覚障害のある被験者は、毎年、脳が1立方センチメートル失われており、音や会話を処理するエリアの組織が大きく萎縮していきました。萎縮は、大脳の中側頭回と下側頭回に影響していました。これらの領域は、記憶や感覚間統合に主要な役割を果たす部分です。これらの領域の同様の損傷がアルツハイマーの患者にも確認されています。
「難聴が放置されたままになると、常習的欠勤、職場での生産性の低下(その結果として、賃金をカットされる)などのほか、抑うつ、不安、認知力の低下につながります。」(※3)
※3 Better Hearing Institute. The Impact of Untreated Hearing Loss on Household Income. Sergei Kochkin, Ph.D. 2005
(http://www.hearing.org/uploadedFiles/Content/impact_of_untreated_hearing_loss_on_income.pdf)
難聴の早期診断と治療は、認知症やアルツハイマーの進行を遅らせます。
難聴が認知症やアルツハイマーの進行の要因であるというエビデンスが増えていることから、難聴を放置することによる深刻な影響について、医師は患者に適確な情報を伝える義務があります。難聴は早期に発見し早く治療や聴覚補償を開始するほど、聞き取りが維持されやすいという事実があるにもかかわらず、難聴を抱える人々が診断されてから治療を求めるまでには平均で7年かかっています。早期診断と医療的介入により、認知症やアルツハイマーの進行を遅らせることができることを考えると、医師が患者に対し、できるだけ早く難聴の治療や聴覚補償の方針を促すことがさらに重要となってきます。
補聴器による聴覚補償は、患者の聞こえを改善するだけでなく、脳の萎縮や認知機能障害の予防につながる可能性があります。
「(米国における認知症やアルツハイマー患者の)ヘルスケア、長期ケアおよびホスピスの費用は、総計で毎年1,830億ドルとなっており、これは2050年までに毎年1兆1,000億ドルに達すると予測されています。」(※4)
※4 Alzheimer’s Association. 2011 Alzheimer’s Disease Facts and Figures
(http://www.alz.org/downloads/Facts_Figures_2011.pdf)
まとめ
難聴になると会話がスムーズに立ち行かない劣等感から他人との交流を避けるようになり、外出の機会が少なくなる方が多いようです。外出の機会の低下は、社会参加に影響を及ぼし、益々ひとりになることで脳を使う刺激が低下し、認知症の進行に拍車がかかると思われます。
そのような事態にならないためにも、補聴器を使って、積極的に外とのつながりを作ることが大事です。厚労省の新オレンジプランにも認知症の発症と進行の予防には「社会参加、活発な精神活動が有効」とされています。早めに補聴器を使い、家庭内でも外出先でも気持ちの良いコミュニケーションをとることが有効な対策だと思います。
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